踏みはずし

うつ病で社会のレールを踏みはずしたけど、楽しく生きていきます。

『耳をすませば』の”時代性”と”非時代性”(2)僕と『耳をすませば』の風景

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僕はスタジオジブリの映画『耳をすませば』が大好きです。

 前回は去年の夏(2018年7月)に浜松で近藤喜文展を見に行った際に考えたことを書きました。

 

www.fumihazushi.com

 今回は同じく『耳をすませば』についての2回目。

1995年の公開から今年で24年(ほぼ四半世紀!)を迎えるこの作品を、僕がどのように感じてきたか、作品の内容というよりは、僕との個人的な関係について、画像を交えて書いていこうと思います。

タイトルに「時代」とあるので、読んでいただいた方にも、それぞれが過ごしてきた時間を振り返っていただけたらと思います。

 

『耳をすませば』と僕

公開当時

公開された1995年、僕は10歳の小学生でした。

社会的にはバブルの名残も消え、阪神大震災やオウムの一連の事件が起こった年であり、正に激動の1年であったと思います。

そして、今年で平成も終わりますが、麻原彰晃の死刑執行など、1995年の余波はいまだに続いているという感覚があります。

 

さて、そのような時代を絡めた評論めいたことは次回に取っておくとして、今回は僕の自分語りをメインにさせてもらいたいと思います。

 

僕はこの作品を映画館で観ることはなかったのですが、テレビCMに非常に惹きつけられたことを覚えています。

僕を惹きつけたのは、東京都心部の遠景の場面です。(もしかしたら、CMではなく、作品の公開に合わせたテレビ特集か、テレビ放送時のCMだったかもしれません)

僕は当時、東京のビル群や街並み憧れていました。そして今も東京の風景が大好きです。

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新宿のビル群 高尾山より

僕は東京在住です。

というか、小さい頃はこのビル群の間近に住んでいました。

ですので、東京の街に対する想いは、憧れというより郷愁に近いものがあると感じています。

『耳をすませば』より少し前のトレンディドラマや『CITY HUNTER』などの雰囲気にも感じるものがあります。

実際『耳をすませば』もトレンディドラマの延長にあるという解釈も成り立つのではないかと思います。

 

『耳をすませば』のオープニングの東京の夜景とクライマックスの「秘密の場所」からの東京から朝日が登る場面が私の心を捉えました。

(前年の高畑勲監督の『平成狸合戦ぽんぽこ』のエンディングも同じ風景なんです!)

 

また公開後、少し経って、同級生の女の子から『耳をすませば』の登場キャラクターである「男爵」が描かれた便箋のラブレターを貰ったという淡い思い出もよみがえってきます。

 

私が映画を見たのはTV初回放送時で、東京のビル群の場面、そして舞台となった多摩の風景も僕に深い印象を与えました。

しかし、中学生の恋愛という物語は、小学生の僕には、まだ実感を持って観ることはできなかったと記憶しています。

 

舞台となった土地へ

僕が初めて映画のモデルとなった土地である聖蹟桜ヶ丘に行ったのは中学2年生のときでした。

住んでいるところからは、都心のビル群を挟んで東京の反対側でした。

中学生の僕にはちょっとした旅行でした。

 

当時はインターネットが今ほど普及しておらず、僕もほとんど使ったことはありませんでした。

ですから、場所を調べる方法は、映画の場面をもとに、地図や多摩の街並みが写った写真からおおよその場所を推測したり、地図の等高線読み、定規を使って都心部が見渡せるを探したりするというものでした。

結果、2回目の多摩への散策で見つけることができました。

「いろは坂」が決め手でした。

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聖蹟桜ヶ丘駅。作品内では杉の宮駅になっている。

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聖蹟桜ヶ丘散策マップ。以前は右下に雫のような赤いシャツに帽子をかぶった女の子の絵が描かれていた。

 

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地球屋の形のポスト。正式名称「青春のポスト」。ここに投函してもハガキは配達されません。

 

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駅前。猫を追う少女はいなかった。

 

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大栗川を渡る橋


 

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いろは坂へ 『Fate/Stay night』や『GANTZ』でも使われた

 

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物語では図書館がある場所。実際には図書館ではなく公園がある。

 

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「丘をまく坂の道」

 

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杉村が雫に告白をした社

 

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丘の上のロータリー

 

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雫が住んでいた団地。給水塔が特徴的。

 

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雫が夕子に呼び出された団地前の公園


これらの写真は2016年に撮ったものです。

曇っていたため、画像の色調が全体的にくすんでいるのが残念ですが、多摩地域、特に『耳をすませば』のもモデルとなった、京王線で多摩川を渡った聖蹟桜ヶ丘を含むこの地域は、丘陵地帯で高低差があり、都心部より緑も多く、爽やかな空気が漂います。

また、戦後開発、造成された地域であり、その緑の中に上の画像の団地のような、既にノスタルジーを喚起する建物もある一方で、まだできたばかりの真新しい建物や広々とした公園が点在しており、都心とは異なる、独特で開放的な風景が広がっています。

『耳をすませば』以外にも、この近辺をロケ地や舞台にした作品が実写・アニメを問わずたくさんあります。

そういった魅力を持った「絵になる」風景なのではないかと思います。

僕は『耳をすませば』を抜きにしても、この土地の風景が大好きです。

聖地巡礼に訪れる多くの耳すまファンも同じように思っているのではないでしょうか。

 

モデルとなった地域について

さて、ロケ地の話をしたついでに、それにまつわるネットなどではあまり指摘されていない誤解されていると思うことや、僕が調べたり、実際この土地を歩いて見たことを元に、自分なりの考えを提示しようと思います。

必ずしもソースがあるわけではないのですが、そこはご容赦ください。

 

秘密の場所

まず大前提として、この作品は聖蹟桜ヶ丘を始めとして、多くの実際の場所をロケハンしてそこをモデルに描かれていることは間違いないのですが、位置関係など必ずしも実際の土地をそのまま描いているわけではないということです。

作品内で現実の風景をそのまま写し取ったように背景が描かれていますが、だからといって作品の設定と現実の風景がすべて一致していると考えるのは間違っています。

ですが、ネットを見る限り、そのように考え、つまり現実と混同して語っていいる方も多く、そのことで誤解が生まれていると感じることも多いです。

 

まずこの「秘密の場所」についてです。

「秘密の場所」は作品のラスト、主人公の二人が東京の都心を臨む朝日の中、愛を確認し合う場所のことで、最も美しいシーンです。

ですから、多くのファンがこの場所を探そうと聖蹟桜ヶ丘を訪れました。

そしていつからか、上にあげた画像の丘のをファンが「耳丘」呼び始め、その一部を「秘密の場所」と考えるようになり、一時期ファンの交流ノートが置かれていたようです。(※その場所は当時は空き地でしたが、もともと私有地であり、現在は個人の家が立ってるので、もうそこに立ち入ることはできません。もし行った場合にも、住民の迷惑になるような行為は絶対にやめてください。)

 

ですが、これは全くの誤解・間違いだと僕は考えています。

その場所がどこかは詳しくは述べませんが、画像にあるいろは坂を登りきり、更に少し登ったところです。

作品内では図書館があった裏あたりです。

その場所の下からの画像です。

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いわゆる「耳丘」。ファンが「秘密の場所」と考えるあたりを下から写した

 

この画像でもう分かると思います。

ここは「秘密の場所」ではなく、強いて言うなら地球屋があった場所です。

オープニングに似たような風景が映るので、確認していただけたらと思います。

 

では本当の秘密の場所はどこなのか?

 

結論から言ってしまえば、私は無いと考えています

正確に言えば、ロケハンした場所を様々に組み合わせ、そこに創作の場所を加えたものだと考えています。

 

まず「創作の場所」とはどういうことかというと、作品のシーンにあるような足元に石垣があり、あの高さがあり、なんの遮蔽物もなく都心までキレイに見渡せる場所は、おそらく無いということです。

雫と聖司が立っていたあの場所は、作者が描いたもので、作品の中にしかない場所だと考えているのです。

 

ですが「組み合わされた場所」は現実にいくつか存在すると思います。

1つは連光寺給水所です。

現在画像は用意できていませんが、検索していただいて作品で描かれたものと比べていただきたいと思います。

白い円柱型の建築物がとても似ていると思います。(いずれ写真を撮ってきます)

この近くには「みはらし緑地」という小さい公園があり、遮蔽物がありますが都心部か横浜かまで見えたと記憶しています。(※確認中)

また、雫と聖司が住む丘からは少し離れたところにあり、作品内でまだ陽の昇らない明け方の町を自転車で下ってまた登ってというシーンの距離感的にもふさわしいのではと考えます。

 

もう1つはよみうりランドです。

これに関してはソースが無いので確証を持って言えないのですが、僕がモデルとなった場所、多摩地域から都心部を臨める場所を探していた時、何かの文章で「あの風景はよみうりランドにある高い塔からのものを参考にした」というジブリ関係者の発言らしき文章を読んだ記憶があります。(曖昧で申し訳ありません…)

確証は持てません。ですが僕はこれには信憑性があると思っています。

実際、できるだけキレイに都心部を見ることができる場所を探した時、理想に近い場所は、聖蹟桜ヶ丘近辺ではなく、少し離れた稲城市や川崎市にあります。

よみうりランドからも見えますが、オススメは稲城市の城山公園にある「ファインタワー」という展望台です。

ここが最も作品に近く、理想的な風景だと僕は思っています。

www.city.inagi.tokyo.jp

ここもいずれ写真にとってきたいと思います。

 

※2019/01/27追記

城山公園のファインタワーは平成30年9月30日の台風の影響で、残念ながら閉鎖してしまったようです。

ファインタワーの閉鎖について 稲城市ホームページ

 

地球屋とロータリー

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作品では天沢聖司の祖父が営む雑貨屋である「地球屋」は丘の上のロータリーに面しています。

地球屋のおおよその場所は上にあげた「耳丘」の画像から見える辺りにあります。

そして、ロータリーは現実でも、丘の上に存在します。

ですがやはり、位置関係が異なります。

地球屋は丘の手前の端の方にありますが、実際のロータリーは丘を登ってもっと奥に行ったあたり、丘の中心にあります。

現実では地球屋のあるとされる場所とロータリーは離れているのです。

もちろん、僕が自分で述べたように、そこは作品制作の際に風景を組み合わせたと言ったほうが適切かもしれません。

しかし、僕が実際にその場所に行って感じたことは、作品の中のロータリーと実際のロータリーでは雰囲気が全く違うということです。

 

作品では、地球屋は雫が坂を登っていった図書館の更に上にあります。

この「更に上」というのは、位置的にもそうなんですが、あくまで僕の個人的な感覚ですが、下とは漂う空気の異なる、「少し非現実な場所」ということです。

雫はバロンとの出会い、時計の修理など、時が止まったようなひと時を過ごします。

実際、修理した時計が動き出すことで、雫は本来の目的(父親へお弁当を届ける)を思い出します。

地球屋周辺は単なる街の一画ではではなく、「ある時迷い込む場所」なのです。

猫に導かれ、または何かに思い悩む時ふと足が向いてたどり着く場所です。

地球屋の周囲には民家は描かれているものの、人は描かれておらず、どこかひっそりとした雰囲気があります。

雫もムーンについていき、ロータリーにやってきた時「丘の上にこんなところがあるなんて知らなかった」と言っています。

それに対し、モデルとなったとされるロータリーは非常に生活感があり、隔離された雰囲気はなく、バス停などもある開かれた「現実的な場所」です。

「ロータリー」という共通点があり、作品の参考にならなかったとは言いませんが、僕の実感としては全く別の場所なのです。

真ん中に植え込みの気があるという部分は似てますが、広さも違います。

僕はむしろ、雰囲気だけで言えば、ロータリーの近くにある、浄水場前のバス停のほうが似ている気がします。

その場所がこの方のブログにありましたので見てみてください。

『一週間フレンズ。』の舞台でもあるんですね

teo.cocolog-nifty.com

また、近くの別の場所にも少し雰囲気を感じるところがあったので、いつかそこも写真に収めたいと思います。

 

つまり、桜ヶ丘に実際にあるロータリーが作品のモデルであり、現在そこが「聖地」となっているようですが、そうと決めるのは、やはり僕はそれは少し違うのではないかと考えているのです。

それは単に、地球屋とそれの位置関係がちがうというだけではなく、作品と現実のロータリーの雰囲気の違いはもちろん、「作品における地球屋があるロータリーの意味合い」と、それが醸し出すどこか静謐な空気が「現実には存在しない場所」としたほうが正しいと考えるのです。

作品内の地球屋とロータリーは、(少なくとも作品の前半は)丘の頂上ではなく、もっと高い、どこか日常とは少し離れた場所にあるんじゃないかと考えたいのです。

セリフにもあるように、まさに

 

「空に浮いているみたい…」

 

という場所だと思うのです。

 

ですがもちろん、現実の桜ヶ丘のロータリーに行って、周辺を散策しながら作品の雰囲気を感じるという楽しみ方はいいと思います。

僕も何度も行きましたし、また行きたいと思っています。

 

僕が高校生になってから

それではまた自分の話に戻ります。

 

中学生の時に初めて聖蹟桜ヶ丘がある多摩地域に行き、その風景に魅了された僕は、高校生になってからそれ以降も、度々そこに訪れました。

もともと学校が嫌いだった僕は、なんとなく嫌な気分のときにはフラリと京王線に乗り、聖蹟桜ヶ丘や多摩センター近辺を散策していました。

そのときにはもう、初めて『耳をすませば』を観た小学生の時とは違い、作品のテーマの1つでもある「恋の意味」も考えるほどには成長していました。

また、思春期の多くの青少年と同様に、将来に対する希望と漠然とした不安をいだいていました。

しかしさらに、個人的な事情として、その頃から家庭などの問題を抱えるようになり、精神的につらい時期が始まりました。

主にその問題が元となり、その後、僕は20代半ばでうつ病になってしまいました。

 

今はうつ病に関してはだいぶ改善してきましたが、そういったつらいことがあると、色々な希望を見失ってしまいます。

それまでずっと頭の中にあり、ずっと見てきたもの、夢や希望、今やりたいことや将来の目標など、つらい日々の生活の中で、いつの間にか埋もれていってしまいます。

 

そんな中でも多摩にやってきて、その風景に慰められていました。

それは当時も今も変わっていません。

 

まとめ

 

『耳をすませば』は夢と希望の物語だと思います。

もちろん、不安や悩みも描かれているし、それを踏まえても、全体的に青臭い物語です。

しかし、それは青春の物語です。

まさに宝石の原石のような作品なのです。

 

僕も多くの人たちと同様に、恋や将来について悩みました。

また、個人的な問題をずっと抱え続け、うつ病という病気にもなり、このブログのタイトルにもあるように、いわゆる社会のレールを「踏みはずし」てしまいました。

ですが、そのように悩んでいる間も、時々聖蹟桜ヶ丘を訪れ、『耳をすませば』のモデルになった風景を眺めていると、元気をもらい、未来が少し開けたような気持ちになりました。

それは朝日を眺めていた雫と聖司の気持ちとも重なるのではないかと思っています。

二人も希望だけではなく、行き先のわからない不安を抱えていたと思います。

 

僕は先日行った近藤喜文展で見たのですが、『耳をすませば』の2人が自転車に乗ったポスターをぜひ見てみてください。

二人の視線は同じ方向を向いているのではなく、特に雫はどこか違う、遠くを見ているように感じます。

それが不安な将来を暗示しているとは言いませんが、先行きの不確かな未来を想像し始めた若者の眼差しのようにも感じるのです。

 

僕はこれまで何度も『耳をすませば』観ましたし、多摩にも足を運びました。

それはつらい日々の中でかすみ、忘れてしまった夢や希望をもう一度目の前に取り戻そうという作業だったような気がしています。

うつ病が回復してきた今、将来と言うにはもういい年齢になってしまいましたので、恥ずかしながらですが、もう一度そういった夢や希望をしっかりと見据えていきたいと強く思っています。

 

今度の放送(2019/01/11)でも物語を普通に楽しみつつも、そういった思いを抱えながら観ることになると思います。

そして観る人には、特に若い方にはぜひ観ていただいて、将来に希望を持ち悩みながら成長していく登場人物の姿を見て、これからの人生の糧にしていってほしいと、「耳すまファン」の一人として、そんなことを思っています。