踏みはずし

うつ病で社会のレールを踏みはずしたけど、楽しく生きていきます。

ゆたぼんみたいな人を見ると、『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』『HUNTER×HUNTER』を思い出す。

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小学生YouTuber「ゆたぼん」が話題になっています。

私は、彼のような人を見ると『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』『HUNTER×HUNTER』の3作品を思い出します。

私は「社会に物申す」的なことはあまり考えませんが、ちょっと話題に乗って自分の思ったことを書こうと思います。

 「不登校は不幸じゃない」といった、小学生YouTuber「ゆたぼん」の一連の発言や活動が話題になっています。

私は彼がそう思うに至った背景や事実関係も知りませんので、彼自身やその親についてとやかく言うつもりはありません。

ですがニュースなどを見て思うのは、彼のような人間や考え方はこれまでもたくさんあったなあということです。

例えば「学校の勉強やテストの点数よりも大切なことがある」というような話は、もはやどこの誰が言っていたかわからないくらい目にしたり耳にしたりしました。

現実の子どもの悩み相談などではもちろん、ドラマやマンガなど様々なフィクションでも見た覚えがあります。

そして割と世に受け入れられているという気がします。

これに類する言説や考え方、又はそれをする人をここでは「ゆたぼん的」とします。

私はこの「ゆたぼん的」な人や考えには同意しかねるのですが、それは置いておいて、その「ゆたぼん的」な人を見るといつも少年ジャンプの3つの作品が思い浮かびます。

それが『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』『HUNTER×HUNTER』です。

言わずとしれた超名作です。

結論から言うと、これらの作品に共通するのは「地道な修行」が描かれているということです。

私は子供の成長段階には、この「地道な修行」こそが大切だと思うので、それをまとめてみます。

またマンガだけでなく、文学者の発言なども紹介したいと思います。

 

「地道な修行」が描かれているジャンプ3作品

『ドラゴンボール』 理想の師匠・亀仙人

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『ドラゴンボール』世界的な人気を誇るマンガです。

バトルマンガとして人気を博していますが、個人的には初期(アニメで言えば『ドラゴンボールZ』以前)のバトルだけでなく、ギャグやお色気もあるあたりが好きです。

そしてここで取り上げるのもその頃の場面です。

単行本3巻で、主人公の孫悟空は後に生涯の友人となるクリリンとともに亀仙人という師匠のもとで、天下一武道会という武術大会に向け修行をします。

ですがこの亀仙人は2人に拳法の修行はしません。

当然、悟空とクリリンは疑問に思うのですが、結果的に自分たちでも驚くほどの力を身に着けます。

そして、その修業のときに語られる亀仙人の考え方がすごく魅力的でなのです。

ここでは画像とともに、そのセリフを引用します。

※以下、「鳥山明 『ドラゴンボール』3巻 集英社」より引用します。また句読点などは筆者によります。

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さて、これから昼メシまではお勉強タイムじゃ!
カラダだけをいくらきたえても一人前の武道家とはいえん
頭も修行せんとな

武道家には一見関係のない勉強も大切な修行の1つです。

悟空は嫌がっていますがしっかりやります。

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亀仙流武術の基本はおまえたちふたりがこの7ヶ月間毎日やってきた修行の中にすべてふくまれておる
自分では気づいておらんようじゃが目も拳も脚も体すべてそして頭のなかまで鍛えられておるはずじゃ
拳法というのはただそれらの応用にすぎん
武道は勝つためにはげむのではない
おのれに負けぬためじゃ
そのためにこれまで習得した基本を生かし自分で考えて自分で拳法を学べ

修行は拳法を習得するために必要な組手などは一切せず、牛乳配達や畑仕事、勉強などをします。

しかし亀仙人は、武道家として強くなることとは一見関係ないそのような修行こそが基本であり基礎で、自分で考えそれを応用するだけだと説きます。

そして、その修業の結果が次の画像です。

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悟空とクリリンは、気づかないうちに自分たちでも驚くほど高く跳べるようになっています。

地道な修行をしていくことで、大きな力がついています。

もちろんこれはマンガの表現ですが、現実世界でもスポーツや受験勉強など、基礎をしっかり身につけた人ほどその後伸びていきます。

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このような修行を行う亀仙流のには次のような考えがあるのです。

よく動き、よく学び、よく遊び、よく食べて、よく休む
これが亀仙流の修行じゃ

マンガのセリフに過ぎないといえばそれまでですが、私は真理だと思います。

この中には悟空に対する勉強のように、「やりたくないこと」も含まれます。

師匠としてこれを伝え、実践できる亀仙人は理想の師匠だとです。

そして、実はこの修業を終えた時点で単純なパワーに関しては2人は亀仙人を超えてしまいます。

ですがこのような理念や生き方を弟子に伝え、導くことができるのが師匠であり、大人であるということだと思います。

『SLAM DUNK』 基礎、そして自分で考えることの大切さ。

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『SLAM DUNK』は言わずとしれたバスケットボール漫画の金字塔です。

連載当時、中学・高校のバスケットボール部は部員が爆発的に増えたそうで、日本のバスケットボールのプロ化にも影響を与えたと言われています。

またスポーツ的な視点だけでなく、物語や登場人物のセリフなどは、多くの読者の心に響くもので、海外にもファンが多い、名作中の名作です。

「あきらめたらそこで試合終了ですよ」というセリフは、SLAM DUNKを読んだことがなくても知っているという人もいるのではないでしょうか。

ここでは、そのセリフの発言者である湘北高校バスケ部監督の安西先生をはじめ、キャプテンの「ゴリ」こと赤木剛憲、そして主人公・桜木花道のセリフや考え方を見ていきたいと思います。

※以下 「井上雄彦『SLUM DUNK 完全版』集英社」 より引用します。

基礎が大事

『SLAM DUNK』の主人公・桜木花道は中学時代は手につけられない不良でしたが、高校に入学し、同級生でありバスケ部キャプテン赤木のの妹である赤木晴子に一目惚れし、湘北高校バスケットボール部に入部します。

しかし、もともとバスケとは無縁の不良であり、入部の動機も「晴子にいいところを見せて親しくなりたい」という不純なものであった桜木は、バスケ初心者であるにもかかわらず基礎的な練習をしようとしません。

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『SLUM DUNK 完全版』1巻

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同上


桜木は地味な基礎練習に嫌気が差し、ダンクのようなド派手なことをやろうとばかりしますが、キャプテン赤木に叱られます。

基本がどれほど大事かわからんのか!!

基本を知らんやつは試合になったらなにもできやしねーんだ!!

「基本が大事」というのは、スポーツだけではなく、どのようなことにも通じることです。

ここで桜木は一度逃げ出しますが、また戻ってきます。

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同上

地道な努力はいつか必ず報われる

晴子にそう言われ、そしてその頃から晴子への想いだけでなく、バスケへの情熱が芽生え始め、バスケット選手としてだけでなく、人間的のも加速度的に成長していきます。

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『SLAM DUNK 完全版』2巻

前にも言ったが基本を知らん奴は試合ではなにもできんのだ!!

桜木は、それでも時々派手なプレーをしたいという色気を出しますが、そのたびに赤木は「基本が大事」ということを繰り返し教えます。

こうしていく中で桜木は成長していきますが、バスケの素人であるので、当然失敗をします。

全国出場をかけた大事な一戦で敵にパスをしてしまうといった大きなミスを犯してしまった桜木は、頭を坊主にして反省します。

そして見た目だけではなく、内面的にもしっかり成長していくのです。

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『SLAM DUNK 完全版』13巻

「基本が大事!!」だろ?ゴリ

「基本が大事」という赤木がこれまで何度も言ってきたことの意味を、桜木は理解するようになります。

人は楽しいこと、面白いことをしたいと思います。

ですが、それを本気でやろうとするとその中には楽しいことだけでなく、基礎練習のように地味なことやつまらないこともあります。

しかしそれこそが、やろうとしている楽しいことをより楽しく、そして人生において意味のあるものにすることなのです。

そして、桜木が学んだ「基礎が大事」という赤木の考えは、安西先生から受け継がれているものです。

安西先生は、大学のバスケ部監督時代に谷沢という才能あるプレーヤーを指導していました。

安西先生は谷沢に期待していたので、特に厳しく指導し、大事な基礎的な練習を課していました。

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『SLAM DUNK 完全版』17巻

基礎がないとどんな才能も開花することはないからな

谷沢のチームメイトは基礎の大切さと、それ故谷沢に期待する安西先生の指導者としての思いに気づいていましたが、谷沢本人は理解できていませんでした。

やめてやる!!
オレがやりたいバスケはここにはねえ!!

そう考え、谷沢は安西先生のもとから離れ、一人バスケの本場アメリカへ旅立ちます。

しかし、本人が望むような結果にはなりませんでした。

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『SLAM DUNK 完全版』17巻

まるで成長していない……

アメリカに行っただけで、基礎をおろそかにしていた谷沢は伸び悩みます。

うまくいかないことから日本との連絡を取ることは無くなっていきます。

そして5年後、薬物の使用も疑わるような状態で交通事故を起こし、その生涯を終えることになります。

これ以後、安西先生は大学での厳しい姿勢から一転、温和な指導者となります。

しかし、「基礎が大事」という考えは変わらず、無名の赤木を全国区の選手に育て上げ、その指導は桜木にも伝わっていきます。

それが桜木花道という、谷沢を超える才能を成長させていくことになるのです。

自分で考えることが大切

湘北高校のバスケ部の監督となった安西先生は、大学時代ように口うるさい指導はしません。

基本的なことはキャプテンである赤木に任せ、大事なところで口を出すといった放任主義にも近いものです。

しかし、そのやり方はあまりに言葉少ないため、ネット上などでは時折「もっと具体的な指導ををすれば……」といった意見や、「それをしない安西先生は無能指導者」などといったことも言われています。

しかし、大学時代から矢沢に対してその「基礎の大切さ」を直接的には伝えていないように思われます。

それがあの不幸につながってしまったとも言えなくないですが、その「あえて言わない」ことが安西先生の指導法であり、また、現実でも重要で効果的なやり方だと思うのです。

主人公・桜木花道の同学年のチームメイトでありライバルでもある流川楓は作中に登場する人物の中で、最高レベルの才能と能力を持っています。

しかし、まだ高校一年生ということや元々我が強い性格もあり、プレーは独りよがり、でその持っている能力を完全には発揮できません。

安西先生はその事に気づいているのですが、それを直接言いません。

流川に対してもやはり、わかりやすい指導はしないのです。

流川は物語の最後の試合である山王工業との一戦の中で、自分に足りないものに気づくことで、その才能を発揮し、日本一の高校生・沢北栄治を倒し、湘北を勝利に導きます。

その流川に足りないものとは、試合の中で味方を使うことです。

味方を使うことでプレーの幅が広がり、元々持っている個人の能力が最大限に活かせるようになるのです。

言葉にすれば簡単なことですが、なぜ安西先生はそのことを言わなかったのでしょうか。

それは自分で考え、気づき、試行錯誤することが人間が成長する上で最も大切だからです。

簡単に答えを教えるのではなく、答えに至るまでの道こそが人を最も成長させるからです。

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『SLAM DUNK 完全版』23巻

安西先生は流川に必要な答えを知っていながら自分で見つけさせようとしています。

もし、その答えを口で伝えていたら、手っ取り早く流川はプレーヤーとして成長し、試合にも楽に勝てていたかもしれません。

ではなぜ、安西先生がそうしなかったのかと言うと、私はプレーヤーとして成長し試合に勝つことももちろん重要ですが、自分で考え、答えを導き出すことでその後より能力は伸びると考えているからだと思います。

さらには、これは想像ですが、そのほうが人間としても成長すると考えているだとも思います。

登場人物で1番これができているのは、意外にも桜木だと思います。

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『SLAM DUNK 完全版』11巻

安西
「自分一人が初心者という状況で、それでもなんとかしようと、いつも彼なりに必死に考えながらやってるんですよ…」

木暮
「上達が早いわけだ…!!」

初心者・桜木はシュートが下手くそなので、ファウルをもらってもフリースローが入りません。

ですが、それをなんとかしようと、突然試合中に下から投げるという方法でフリースローを決めてしまいます。

また、全国大会の前のシュート練習でも桜木は自分で考えています。

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『SLAM DUNK 完全版』17巻

もーちょっとボールは高く上げた方がいいかな…
明日オヤジ(安西先生)に聞いてみよう

「自分で考え、試行錯誤し、答えを出していく」

桜木は自然とそれを実践しているのです。

またさらに言えば、最初は人の意見をなど聞かなかった桜木が、安西先生に聞いてみようとしています。

自分で考えると同時に、人の意見や考えに「聞く耳を持つこと」も大切なことです。

「聞く耳を持つこと」を人に教えるのは難しいことです。

安西先生も谷沢のときは失敗してしまいました。

厳しい指導者から温和な指導者への変化は、ショックからだけでなく、その指導のあり方を考え、安西先生自身も成長したと言えると思います。

湘北では、(そこでも完璧な指導者ではないでしょうが)優れた指導者で、赤木はもちろん、桜木と流川という谷沢を超える才能を育てています。

そのやり方は、安西先生が答えを教えるのではなく、自分で考えさせ、試行錯誤させ、答えを出させるというものです。

「指導者」というのは目標や答えに引っ張っていく人物ではなく、正しい道を指し示し、導く人物です。

「正しい道」とは多くの場合、例えば「基礎・基本」であったり、先人たちが築き上げてきたものでしょう。

その道を歩いていくのは指導者ではなく、指導を受ける者だからです。

だから安西先生は、わかりやすく答えを教えるのではなく、口数少く、自分自身に考えさせるようなやり方をしているのです。

正しい道を外れそうになったときだけ口を出し、手を差し伸べるのです。

そしてそれこそが、その人を最も成長させるやり方だからです。

ただ否定し突き放すでもなく、肯定し寄り添うだけでもない、絶妙な距離感で正しい道を指し示すことこそがあるべき指導です。

安西先生の指導はそのようなもので、現実でもそのような人物はおり、その人物に出会うことができたら、幸せなことであり、人生の財産となるでしょう。

『HUNTER×HUNTER』 「正しい考え方」を身につけることの有用性

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長期の休載をはさみながらも現在も連載し、驚異的な人気を誇るマンガ『HUNTER✕HUNTER』にも修行の場面が多く描かれています。

例えば、主人公のゴンが自分の父親が作ったゲームの中で出会ったビスケは、少女のような見た目ながら実はゴンよりもはるか年上で「念能力」の達人です。

ゴンはビスケに修行をしてもらうことになるのですが、その修業はSLAM DUNKの練習と同じようにかなり基礎的なものです。

特に、念能力に関しては自分の得意な系統だけでなく、不得意な別の系統もバランス良く鍛えると応用力が身につき、自分の能力がより発揮されるという教え方をしています。

(ここでは「念能力」という設定の詳しい説明は省略させていただきますが、その設定を確認するためだけでなく、『HUNTER✕HUNTER』自体がめちゃくちゃ面白いので、ぜひ読んでいただきたいです。)

※以下 「冨樫義博『HUNTER✕HUNTER』集英社」より引用させていただきます。

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『HUNTER✕HUNTER』15巻

自分の系統だけを修行してもいいんだけど、それだとどうしても応用のきかない使い手になってしまうし効率も良くない……実はバランス良く他の系統の修行もやると自系統の覚えも早くなるの。

得意なこと、やりたいことだけではできることの幅が広がっていきません。

また、不得意なこともしっかりやったほうが自分の能力を効率よく伸ばし発揮できるというのも面白いです。

「急がば回れ」ということでしょうか。

ですが、この場面もいいのですが、『HUNTER✕HUNTER』で紹介したいのはここではありません。

私が取り上げるのは、ゴンたち人類の敵となる外来生物キメラアントの王・メルエムの成長です。

キメラアントは蟻に過ぎなかった

詳しくはやはり作品そのものを読んでいただきたいのですが、キメラアントとは、「外の世界」からやってきた外来生物で、まさに蟻のように繁殖して数を増やしていきます。

その中で「王メルエム」が生まれ、種族の中心となるのですが、キメラアントの特徴は他の生物を食べることによってどんどん進化していくことです。

作中では人類を脅かすほど進化してしまい、主人公のゴンとその仲間たちが戦っていくことになるのです。

物語の中で、キメラアントは人間を食べることによって、まるで人間のように組織や社会を作るほど進化します。

しかし本質は虫であり、社会と言っても人間の真似事のようなもので、兵隊たちは自分勝手な行動をし、王であるメルエムにしても暴力による支配を基本とし、邪魔者は排除していきます。

単純な力に関しては比類ない存在となるのですが、まだ人間が対抗できないものではありませんでした。

しかし、1人の人間の女性の登場によってメルエムは変わっていきます。

ボードゲーム「軍儀」のチャンピオン・コムギ

メルエムは頭脳も優れ、暇つぶしのようにやっているチェスや囲碁もあっという間に覚えてしまい、人間の実力者を次々と任していきます。

ですが「軍儀」という将棋に似た作中に出てくるオリジナルのゲームのチャンピオンである少女・コムギには何度やっても勝てません。

それどころか、もともと軍儀のチャンピオンであったコムギはメルエム以上に上達していき、メルエムにとって超えられない壁となって立ちはだかります。

また、そのことが物語に重要な意味を持つですが、それは別の話なので、興味のある方はぜひ『HUNTER✕HUNTER』を読んでいただきたいと思います。

さて、軍儀は将棋のようなボードゲームであり、論理的なゲームです。

ですので、やはり決まった攻め方や守り方、その時々で正しい一手、つまり「定石」があります。

定石とは「論理的に正しい考え方、考える道筋、考えの型」と言えます。

メルエムはどんどんその定石を自分のものとし、軍儀においても驚異的な速さで進化していきます。

結局コムギに勝つことはできないのですが、この軍儀を通して論理的な思考を身に着け、対峙する相手の動きや呼吸を読む力を身に着けていくのです。

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『HUNTER✕HUNTER』24巻

何故斯様な者から論理の究極とでも表現すべき美しい棋譜が泉の如く生み出されるのだ……!?

メルエムはコムギとの軍儀の勝負の中で、単純な力だけではない能力があることを知り、それを身につけていきます。

ハンター協会会長・ネテロとの戦い

王メルエムを始めとするキメラアントの目的は、人類を含め、あらゆる生物種の頂点に立つことです。

そのため人類と戦うことになります。

戦う相手は人類の代表で、格闘や念能力において、作中の登場人物の中でも最強クラスの使い手であるハンター協会会長・ネテロです。

ネテロは老齢もあり全盛期ほどの力はなく、また単純な力ではメルエムには及びません。

しかしネテロは人間としての経験や知能、そしてこれまでの「1日1万回、正拳突きの型をそれのみ何年も続ける」という、狂気ともいえる修行により身につけた人智を超えた力により、単純な力で攻めてくるメルエムと対等どころか、寄せ付けずに戦います。

しかし徐々にメルエムがネテロを上回り始めます。

それはコムギとの軍儀の勝負の中で身につけた定石、つまり正しい道筋での正しい考え方により、ネテロの穴を看破していくからです。

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『HUNTER✕HUNTER』28巻

所詮は傀儡の拳、型通りの動作しかできぬ。……その組み合わせをすべて検証し、奴が更に新しい掌打を出さざるを得ない角度からの攻撃を導き出す!!

個には必ず特有の呼吸がある。
無意識のうちに好む型・嫌う型があり、自ずとその者独自の流れを形作る。
呼吸の流れを掴めさえすれば、幾多ある技の枝から奴がどれを選択するかを探ることは充分に可能!!

 将棋(作中での軍儀)と同じ発想です。

これによりネテロはとうとうメルエムの攻撃を受け、個としての一対一の戦いに敗れてしまいます。

ちなみに、ネテロは「正拳突きの型」、メルエムは「軍儀の型(=定石)」により力をつけました。

双方とも「型」を学んでいるのです。

ですが、それでもメルエムがネテロを上回ったのは、ネテロが1人で修行していたのに対し、メルエムはコムギとの対決の中でその方を学んだからだと私は解釈しています。

つまり、「型」により自分の能力を成長させているのは同じですが、メルエムはコムギという相手のいる勝負をしていたことにより、ネテロとの戦いの中でも相手の「型」や「呼吸」を読むことができるようになっていたのです。

実際にメルエムはネテロに攻撃が届いたとき次のように言っています。

コムギとの対局が予知のごとき先見を可能にした……!!

『HUNTER✕HUNTER』はこのような話の組み立てが抜群にうまく、読み応えのある面白い作品です。

正しい考え方を学ぶこと=「型」を真似ること

さて、少し話がずれましたが、重要なのは「型」です。

「型」を別の言い方をすれば、「論理的に正しい考え方」「考える道筋」「考えの型」といえます。

メルエムはこの「型」を、重要な場面(=ネテロとの戦い)ではなく、戦いとは関係のない軍儀の中で身につけています。

そしてそれが、ネテロとの戦いの勝利を決定づけています。

現実世界で型とは何でしょうか。

将棋やスポーツにおける「型」など、その答えは様々あると思いますが、そのうちの大切なものの1つは学校の勉強だと私は考えています。

「学校の勉強」というのが気に入らなければ、それは、これまで様々偉大な人物が考えた末に得た結果や成果と、そこに至るまでの考えの方法や道筋といってもいいです。

例えば、小学校で学ぶ「三平方の定理」もその1つで、これは「ピタゴラスの定理」ともいわれます。

つまり学校では、人類史上でも類まれな賢人であるピタゴラスの型・考え方を学ぶことができるのです。

それを自分で考え出せるという人がいればいいですが、学校で学べるのはピタゴラスの定理だけでなくその他様々な定理はもちろん、その基礎とな型である、四則計算や読解力なども学んでいきます。

それらをすべて自分一人で考え、導き出せるという人は存在しないでしょう。

もしできるとしても、すでにピタゴラスを始め多くの偉人が考え出したものをパクったほうが早く、効率がいいです。

「パクる」とは「真似をする」ということです。

そして「真似る」とは「学ぶ」の語源とされています。

学校とは、これまで人類が考え・導き出してきた「型」を「学ぶ」場所なのです。

私は自分自身としても、また教員免許の取得を目指す立場としても、現在の学校のあり方に疑問を持つ部分は大いにあります。

なにより私自身学校が大嫌いでした。

ですがだからといって、そこで学べることの内容には決して蔑ろにできなものが多くあると考えています。

「義務教育」というのは伊達ではないのです。

学校という組織を信じ、学校の先生に従順に、言われたことに唯々諾々と従えとは絶対に言いません。

しかし、そこで学べる内容には敬意を払い、身につけるべきだと思っています。

補足『ONE PIECE』は対極にある

件の小学生Youtuberゆたぼんの麦わら帽子をかぶった格好は、上に挙げた3つのマンガと同じく、週刊少年ジャンプに連載されている『ONE PIECE』の主人公・ルフィを想起させます。

『ONE PIECE』は単行本の売上に限れば、ジャンプ史上どころかマンガ史上最高の売上を誇る大人気作品です。

しかし私は、エンターテイメント的な面白さはともかく、内容的には『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』『HUNTER×HUNTER』に大きく劣ると思っています。

というのもその理由の1つは、まったくないとはいいませんが、『ONE PIECE』には他の3作品と比べて修行の場面が描かれていないからです。

私が見落としているのでなければ、ルフィの技「ギアセカンド」は、どこでどのように取得したのか描かれていないのです。

『ONE PIECE』全編を通して、多くの場合、主人公たちが技を身につけるのは突然です。

少なくとも、紹介した他の作品のように論理的な練習や修行によって習得したとはされていません。

つまり人が努力し、試行錯誤して何かを達成することの面白さと、そこからくる教育的な効果という点で、3作品と『ONE PIECE』は対極にあるのです。

ゆたぼんが『ONE PIECE』に影響を受けているかはわかりませんが、彼の格好と言動は象徴的だと感じます。

作家・文学者から見る教養

ここからはマンガから離れ、最近話題になった太宰治の小説の登場人物の言葉からお話します。

また、私がその言葉がが普遍的な考え方である思う理由として、田中美知太郎とゲーテの言葉を紹介いたします。

太宰治『正義と微笑』 カルチャーとは「教養」である

学校の勉強「も」大切

さて、最後はマンガ作品から文学作品を題材にしお話いたします。

太宰治の小説『正義と微笑』は、太宰作品によく見られる自意識の高い青年がが主人公です。

知的エリートを兄に持つ主人公・進は、自分もその様な道に進もうと大学を受験するが挫折し、自分のあり方や家族の関係に思い悩み、ついには俳優への道を進んでいくことになります。

その一節が最近ネット上で話題になりました。

それを引用し、私の考えをお話します。

「勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても。その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものなのだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!これだけだ、俺の言いたいのは。……」

 『現代日本の文学31 太宰治集』 足立巻一〔ほか〕編 学研より引用

これは主人公・進の通う学校の黒田先生が離職の際に生徒に向けた言葉です。

学校の先生を始め世の中をやや皮肉っぽい視線で見ている進も、黒田先生には尊敬の念を抱いています。

それだけに、また文脈からも「作者の主張・考え」と解釈できると思います。

私は、この主張は全く正しいものだと考えています。

しかし、世の中にはこの主張と反対の考え方が多く見られ、そちらのほうが重要視されているとさえ思います。

つまり、冒頭で挙げた「学校の勉強やテストの点数よりも大切なことがある」という考え方です。

確かに学校の勉強が全てではありません。

また、現在の学校をめぐる様々な状況を考えると、学校に対し否定的な見方をしてしまうのも頷けます。

しかし、先ほども述べましたが、学校で学べる勉強というのは非常に大切なものなのです。

ですから、日々の生活やその中で具体的に役立つ知恵や知識も大切ですが、学校の勉強「も」大切なのです

カルチャーとカルチベート

引用の中の締めに、「真にカルチベートされた人間になれ!」とあります。

これが最も強く主張したいことでしょう。

では「カルチベート」とは何でしょうか。

これは英語の“cultivate”、「耕す」という意味です。

つまり「耕された人間になれ」ということです。

巧く耕された土は、後に大きな実りをもたらします。

勉強により自分を耕し、善き人格を身に付け、善き人生を送ってほしいという、先生から生徒に向けたメッセージです。

では「カルチャー」とは何でしょうか。

※(ここでは作品本文にある「カルチュア」ではなく、現代の私たちが使用している「カルチャー」で表記させていただきます。)

ご存知の通り、英語で“culture”であり、「文化」という意味です。

しかし、このcultureには「教養」という意味もあるのです。

ここではその意味で使用されています。

双方の単語に“cult”とあり、これはラテン語の“colere”(耕す)を語源としているからです。

つまり、「culture=文化・教養」からだと想像しづらいですが、「cultivate=耕す」と、もともと同じ意味を持っているのです。

つまり、「教養によって自分を耕すべきだ」と言う話をしているのです。

教養とはなにか

では「教養」とは何でしょうか。

これは作品内でも言われているように「心を広く持つということ」です。

様々なことを知ると言い換えてもいいかもしれません。

それは学校の勉強だけではありません。

運動、遊び、食事や睡眠などなど、あらゆるものが教養です。

この記事、または作品内では「学校の勉強」に重きをおいた語り口になっていますが、いつの時代もそれが蔑ろにされているからだと思います。

実はこのことはここで紹介した『ドラゴンボール』の亀仙人とまったく同じことを言っているのです。

拳法を学びたい悟空たちにこそ、一見関係のない勉強が大切であることを説いているとは、すでに紹介したとおりです。

自分の目的としているものに直接役に立つことだけでなく、それ以外のことも学ぶ、つまり「心を広く持つこと」が教養なのです。

「自分のやりたいことだけをやる」というのが、いかに狭く、いかに傲慢なことかわかるかと思います。

だからといって知識量の過多を比較することではありません。

黒田先生も言っているように、忘れてしまってもいいのです。

むしろ忘れた後に、それでも残った「一つかみの砂金」が大切なのです。

この「一つかみの砂金」を得るためには、繰り返しになりますが、あらゆることを学ぶべきです。

やりたいことだけでなく、学校の勉強という直接役に立たなそうだし、やりたくないものにも広く心を開き取り組まなければならないのです。

田中美知太郎とゲーテ

最後に少し、2人の著名な文学者・作家の言葉を紹介して終わりたいと思います。

田中美知太郎は哲学者・西洋古典学者としてソクラテス・プラトン研究における日本の第一人者です。

ゲーテは言わずとしれた大作家です。

概要は下記のリンク先を参照していただければと思います。

田中美知太郎 - Wikipedia

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ - Wikipedia

まずは田中美知太郎の言葉として、『小林秀雄対話集』(講談社文芸文庫)から引用いたします。

「外国でも暗誦が基礎じゃないですか。私の教わったドイツ人はむやみに暗記させた。ゲーテの長い詩を覚えてこいという。試験が終るとケロリと忘れてしまうけれど、やはりあれが本当じゃないかと思いますね。……」

 田中美知太郎が海外で学んでいたときの話です。

どうでしょうか、太宰の『正義と微笑』の黒田先生の言葉と似ていませんか。

覚えて、その後忘れてもいいのです。

ですがそれこそが本当、つまり「一つかみの砂金」を得ることなのです。

そして、この『小林秀雄対話集』の田中美知太郎との対話に付けられているタイトルは「教養ということ」なのです。

また、この話に出てきたゲーテの言葉を紹介します。

田中美知太郎が覚えた詩の中に、その言葉があったかはわかりませんが、ここまでのお話と関係がある言葉だと思います。

それは

「われわれは結局何を目ざすべきか。世の中を知り、それを軽蔑しないことだ。」

というものです。

あえて関連付ければ、「心を広く持とうとすること」、または「あらゆることを無意味なものと馬鹿にせず、知ろうとすること」とも言いかえられると思います。

そして、それを目ざすべきなのです。

おわりに

昨今、自分の考えや自分の意志を何よりも優先するという考え方が、支配的になりつつある気がしています。

たとえばそれは最近であれば、ゆやぼんや、「橋の正しい持ち方」で炎上していたブロガーなど、いわゆる「インフルエンサー」と呼ばれる人たちに目立ちます。

そしてそれに、多くの人達が肯定的に付き従っているように見えます。

私はその状況を危惧しています。

確かに、経営者などのリーダーは、自分の信念のものに決定を下していかなければなりません。

また、普通の人でも、先行きが不透明なこの時代においては頼れるのは自分であり、自分の意志で何事も決めていかなければならないと考えるのは、必要なことだと思います。

しかし、それで物事の見方や考え方を狭くしてはいけません。

「心を広く持たなければならない」のです。

社会での生活に役に立つことも重要ですが、直接役に立たない学校の勉強も大切なのです。

見えづらいですが、そこには田中美知太郎が「やはりあれが本当じゃないかと思いますね」といった、生きる上で最も重要な本質的なものが隠されているのです。

ここで紹介したマンガ作品・文学作品はそのことを指し示してくれています。

そしてその作品達が言うように、人の話にしっかりと耳を傾け、世の中を知った上で、自分で考えていくという態度が正しいと、私は思うのです。